最終更新日:2005/09/25
■菅原義正のライノ参戦記
 

2004年7月4日 私はアトランタのストーンマウンテン・パークで行なわれたアメリカ独立記念日の祭典を見学していた。案内してくれたのはアメリカ在住の長男夫婦である。初めて見た祭典に、私は度肝を抜かれた。もし日本が同じ事をやったら軍国主義だと云われ、きっと大変な事になるに違いない。そんなアメリカの考え方を改めて感心しながら見ていた。

それから数日後、アメリカ・ヤマハさんのご好意により、アトランタ郊外にあるテストコースで、特別にヤマハ・ライノの試乗をさせてもらうことになった。ライノとは、私の長男・義治がデザインをお手伝いした車両であり、日本では発売されていない車両なので、このライノを見ることが今回アメリカに訪れた理由のひとつであった。
ライノはサイドバイサイドといって、自動車のように2人並んで乗るATVである。私は2002年の『ラリーレイドモンゴル』で、ホンダ・パイロットでの出場経験があるので、その違いを色々と研究してみる。車輪は10インチではなく12インチ、エンジンは660ccの4サイクル、駆動は2駆、4駆、4輪デフロックと選べる、車輪外径はバイクの21インチと大きく変わらない。
これならイケる!モンゴルに行ける!モンゴルの大地をライノで走る自分を想像してみたら、嬉しくてたまらなってきた。
こうしてアメリカ・ヤマハさんにお世話になり、『北京ウランバートル』の出場車両が決まり、アメリカで購入することができた。

車両が日本に着いたのは今年の3月31日。積載車に積んで東京まで戻る間に立ち寄ったパーキングエリアでは、初めて目にする珍しい車に、質問攻めに合う。翌日から改造作業を開始、20日間で軽量化とラリーに必要な装備を搭載、この時点で差し引き−11.16kgのダイエットに成功した。
その後1回目のテストに行き、浜岡砂丘でICOのテストや燃費のデーター取り、また砂地での試走を行なった。さすが最新型だけあって、恐るべきライノの走破性に驚かされた。その後も場所を変えて3回ほどテストを繰り返し、時には池町さん、桐島さん、近藤さんらと一緒にテストを行うなど、仕上がりは上々だった。
そして7月10日の神戸の船出しは、車検も無事に終えてホッとするのもつかの間、レンタルトラックを24時間以内に返却しなければならず、すぐにトンボ帰り。あれはラリーよりも厳しい行程だった。

中国の諸事情で、ラリー1日目は北京からモンゴルの国境の町まで、バスで移動することになった。途中の町や村では、日本の軽自動車サイズの3輪車が走ってたり、歩道で羊をさばいていたり、バスから見る様子が面白くて、12時間の移動も楽しい旅だった。
翌日、中国とモンゴルの国境越えを体験する。全員バスから降りて国境事務所内で簡単なチェックをされ、建物の裏側から外に出る。乗ってきたバスは事務所脇を通過して、モンゴル側で待機、そして私達はまたそのバスに乗り込むというわけだ。私はこれまで55ケ国の国を訪れているが、このような国境越えは初めてであった。そこから15キロほど移動して、いよいよモンゴル側のスタート地点に到着した。
さて、そこからが忙しい。それまでのんびりゆったりのバス旅行だったのに、突然時間が早送りされてしまったように、目まぐるしくなった。メインジェット交換は今回メカサービスを依頼した岩崎モータースさんが済ませてくれていたので助かったのだが、荷物の入れ替え、ライノへの積み込み、GPSポイントの入力、それからガソリンスタンドで給油。あっという間に予定の時間が迫ってきた。


スタートラインに着いた。長男がデザインした車両に乗って、次男照仁のカウントダウンで、親父がスタートして行く。素晴らしい瞬間だった。横では主催者の山田さんが優しい目をして見送ってくれていた。いよいよ山田さんが作ったミステリアスなコースへ突入である。
実質ラリー1日目の最初のSSは276キロ、着座位置が低いので結構なスピード感がある。4時間40分程で到着し、平均スピードは59.60km/H。なかなか調子は良い。しかし自分で巻き上げた土埃が運転席付近に絶えず漂い、2分に1回は、ヘルメットシールドの内側やICO、GPS、マップホルダーの表面を拭かないと、土埃で見えなくなってしまう。あれだけテストをしたのに、やはり実際現地を走らないと分からないこともある。全くの計算外であった。
特に問題だったのはエアークリーナーで、キャブのエアー吸入口が運転席側についているので、280kmそこそこの走行でも、ひどい汚れ方であった。仕方ないので翌日からは、300km地点のRCPで毎日エアークリーナーの交換をすることにし、貴重な休憩時間に30分の交換作業が日課になった。
GPSは前に使っていたガーミンUを持ってきたのだが、進行方向を示す表示がかなり小さく、非常に見え難い。しかも夜な夜な自分で入力していたGPSポイントに間違いもあって、そのせいで何度かミスコースもやらかしてしまった。
最も苦労したのはゾーモット〜アルベヘール間で、CP1を通過してしばらくすると、私はいつの間にか湖の南側に出てしまっていた。すでにオンコースを見失っているので、次のGPSポイントを直接目指したいところだが、ルートブックにはそこから22kmほど手前にRCPが用意されている。そうなるとやはりオンコースを探した方が賢明だと思い、現在地点とオンコースがあるだろうと思われる地点の座標を地図からひろい出し、GPSに入力しながら、何とかオンコースに戻ろうと走り続けると、行く先を砂丘に塞がれてしまった。残り少ない燃料は気になるが、本来砂丘を大の得意とするライノは、水を得た魚のように、どんな砂丘も自由に駆け回ってくれた。するといきなりのエンスト。60リッターのガソリンが終わってしまったのだ。一瞬ヒヤっとするが、でもそういうこともあるんじゃないかと、予備用に積んでいた10Lジェリー缶から給油し、なんとかオンコースらしきピストに合流でき、東にコースを取るとやっと遠くにRCPが見えて来た。この時の喜びは参加した人しか分からない感動なのである。
そんなこんなの珍道中一人旅。ミスコースをしても自分の責任、だめな自分を励ましながらのラリーである。ライノと走った楽しいひとときだった。
終わってみると全平均スピードは46.71km/h。

次回はもう少しスピードが上がるセッティグの計画がすでに出来ており、今は次回の整備する場所を作っている最中。ラリー中お世話になった全ての人達に感謝、感謝です。

菅原義正

【ご協賛各社】
株式会社アライヘルメット
山本光学株式会社

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