■小石沢彰BTOU07参戦記
 たくさんの不安と困難

パリダカ2007年大会に日野レンジャー2号車のメインナビゲータとして初参戦させていただいたのですが、実は自分自身が許せなくなるぐらいの失敗をすることがあったのです。
そのため、日本に帰ってきてからは、ラリーに携わるための基本的なことからしっかりと勉強し直そうと、今までに教わったことを再確認してきました。そんななか、弊社会長のから、ナビゲーターとしてBTOUへ参戦すること、しかもその会長の運転する車に乗ることを勧められました。
この話を聞いたとき、正直な気持ちとても嬉しかったです。
パリダカに憧れ、プロのナビゲーターを目指してこの会社に入社、パリダカへの初参戦を経験させていただき、さらに「ラリーの鉄人」と言われる菅原義正のナビとしてBTOUに参戦できることは、本当に夜も眠れないほどの嬉しい気持ちでいっぱいでした。
でも、その反面、パリダカでのことも含めて今までに失敗した多くのことが頭の中を駆け巡り、はたして「鉄人」のナビが一日でも務まるのかどうか、決心が鈍っていたのも事実です。
そんな時、会社のみんなから、他の仕事があり忙しい時期にもかかわらず、BTOUに参戦しさらなる経験を積んでくるよう後押しをしてくれました。また、「失敗はその経験で取り返せばよい」との励ましの言葉を聴いた瞬間、自分の迷いはなくなりました。
しかし、問題は乗る車両。
BTOUがはじまる何ヶ月も前からテスト走行を繰り返し、すでに会長が一人乗り用でセッティングを完了したジムニーを二人乗り用に変更する改造をしなければなりませんでした。
外してあったナビシートの取付、シートベルトを固定するアイボルトの追加、キルスイッチの移設、あとはナビの仕事道具である距離計(テラトリップ)やGPSの取付、各機器の動作確認などなど。
ところで、恥ずかしいことですが、この作業をはじめる数日前に左肋骨と右上腕を骨折してしまいました。
そのため、作業としては比較的簡単な内容であったのですが、横浜でのプレ車検が数週間後に迫っているなか、会社のスタッフに手伝ってもらいながらも、会社の仕事が終わってから事務所の下にあるガレージで、動きにくい体とともに徹夜で作業する日々が続いたのでした。
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