最終更新日:2007/12/12
■小石沢彰BTOU07参戦記

たくさんの不安と困難

 パリダカ2007年大会に日野レンジャー2号車のメインナビゲータとして初参戦させていただいたのですが、実は自分自身が許せなくなるぐらいの失敗をすることがあったのです。
 そのため、日本に帰ってきてからは、ラリーに携わるための基本的なことからしっかりと勉強し直そうと、今までに教わったことを再確認してきました。そんななか、弊社会長のから、ナビゲーターとしてBTOUへ参戦すること、しかもその会長の運転する車に乗ることを勧められました。
 この話を聞いたとき、正直な気持ちとても嬉しかったです。
photo  パリダカに憧れ、プロのナビゲーターを目指してこの会社に入社、パリダカへの初参戦を経験させていただき、さらに「ラリーの鉄人」と言われる菅原義正のナビとしてBTOUに参戦できることは、本当に夜も眠れないほどの嬉しい気持ちでいっぱいでした。
 でも、その反面、パリダカでのことも含めて今までに失敗した多くのことが頭の中を駆け巡り、はたして「鉄人」のナビが一日でも務まるのかどうか、決心が鈍っていたのも事実です。
 そんな時、会社のみんなから、他の仕事があり忙しい時期にもかかわらず、BTOUに参戦しさらなる経験を積んでくるよう後押しをしてくれました。また、「失敗はその経験で取り返せばよい」との励ましの言葉を聴いた瞬間、自分の迷いはなくなりました。

 しかし、問題は乗る車両。
photo  BTOUがはじまる何ヶ月も前からテスト走行を繰り返し、すでに会長が一人乗り用でセッティングを完了したジムニーを二人乗り用に変更する改造をしなければなりませんでした。
 外してあったナビシートの取付、シートベルトを固定するアイボルトの追加、キルスイッチの移設、あとはナビの仕事道具である距離計(テラトリップ)やGPSの取付、各機器の動作確認などなど。
 ところで、恥ずかしいことですが、この作業をはじめる数日前に左肋骨と右上腕を骨折してしまいました。
 そのため、作業としては比較的簡単な内容であったのですが、横浜でのプレ車検が数週間後に迫っているなか、会社のスタッフに手伝ってもらいながらも、会社の仕事が終わってから事務所の下にあるガレージで、動きにくい体とともに徹夜で作業する日々が続いたのでした。


改造と工夫

 二人乗り用に改造をするということで、改めて車両を見てみると、いろいろな部分に工夫が施されており驚きました。 軽自動車ということで、少ないエンジンパワーを効率的に使うために、不要な内装品を外し、可能な限りアルミボルトを使うなどした軽量化。車両の重量バランスを考え、エンジンルームにあるバッテリーや、レースのレギュレーションで搭載することが決められているスペアタイヤ2本や水タンクなどの重量物の設置位置。
photo  さらに、レース装備品の取付方法。一見すると簡単に取り付けられているように見えるのですが、「レース期間だけ壊れなければ良い」「取付方法は芸術を求めているのではない」とのいつも耳にしている会長の言葉がそのまま反映されている合理的なもので、例えば、本当に軽いものであれば、アルミテープで車体に貼られているだけでした。また、エンジンルーム内から移設されたバッテリーの設置場所には、エンジンルーム内のスペアパーツが取り付けられてあり、もしトラブルがあった場合に車の中からいちいちパーツを取り出さなくても、ボンネットを開けるだけで全てが対応できるように時間短縮の工夫もされていました。
 もちろん、実際のレース中にこれらの取付方法が原因でトラブルになることは全くありませんでした。

photo  実は、二人乗り用に改造した後でも、もともと一人乗り用に準備されていたジムニーには、ドライバー専用のマップホルダー(絵巻)や距離計(ICO)、GPS2台が付けられたままでした。これらはバイクの装備を参考にしたもので、ナビがコマ図を読み上げなくても、ドライバー側の装備だけで十分に目的地に到着できるものでした。
 ナビ側に装備品をつけている作業中、この状態を見るたびに、ラリーのすべてを知りつくし、コマ図の情報も持っている会長の横で、ナビとしての自分がどのように行動できるのか大きな不安に思うとともに、「それらの機器は使わせないぞ」とふつふつと闘志が湧き出てくるのでした。


積み重なっていく不安

 8/6のグランドスタートの後、ウランバートルの街をリエゾンで抜け出ると地平線が見えそうなぐらいに広い大地にいくつもの並行ピストが見えてきました。自分にとっては2002年大会以来のモンゴルですが、こういった並行ピストには見覚えがあり不安はないものの、これから8日間、ナビがしっかりと務められるのかどうか緊張感が増してきました。
 さらに、コマ図には「工事中」とあり、そのためか料金所など大きな目標物は撤去されコマ図との情報があわず、また、他のレース車両が走っている状況を見ながら、より走りやすいピストを選んで走っていくので、コマ図との距離が当然合わなくなり、不安な気持ちを少しずつ膨らませながら進むことになったのでした。
 その時、いままで一緒に走っていた他の車両の集団が左へと大きくそれていったのです。
 モンゴルの道の特徴は、次の大きな町に向かって伸びる電線に沿って道が走っていることが多いため、左にそれていった集団はその電線を追って走っていったようでした。それに対してこちらは一台、コマ図どおりに建設中の新しい道に沿っていたのですが、その瞬間、今まで積み重なった不安が一気に大きくなり、自分の指示でUターンをしてその集団についていくことにしました。
photo  しかし、結論としてその道は間違えでした。
 湿地帯の中を通過するルートとなり、徐々に路面状況が悪くなってくるのでした。
 他の車両を追うため今まで走ってきた道から外れた時から、会長から「さっき走っていた道の向かっている方向も見ておけ」と指示されていたのですが、すでにミスコースだと知ってのことだったと思います。結局は、会長の機転で、現地の人から林の間にある見つけにくい次の町までの道を聞いて、無事湿地帯を通過することができたのでした。


距離計

photo  その町にはいるとしばらくの間は舗装路。ここで距離計の係数を再度修正しコマ図との距離をあわせてみるが、どう修正しても距離が大きくずれていくのでした。さらに、現地の車を追い越すとき、注意を喚起するためにエアホーンを鳴らすのですが、その直後に距離計を見ると、また距離数が大きく変わっていることに気がつきました。
 こんなことは初めてのことです。
 センサーの取り付け方が悪い?
 (説明書通り取り付けたはずだ。)
 供給されている電源がエアホーンと同じフューズボックスから取っているからか?
 (それなら、他の機器も影響を受けるはずだ)
 それとも、本体が壊れている?
 (今年もパリダカで正常に動いていたから問題はない)
 いろんな原因を考えていると、コマ図の距離と合っていない状態なのでさらに大きくミスコースをしてしまうのでした。
 そこで原因を見つけるために、走っている最中に距離計を注意深くじっと見ながら、エアホーンを鳴らすと、その瞬間数字が変わるのがはっきりと見えました。
 エアホーンと距離計が関係するのは、距離計のセンサーの配線の部分。
 キャンプ地に到着すると、すぐに同じコルゲートチューブ内に入っているエアホーン配線とセンサーの配線のうち、片方をそのチューブから出して、少し配線の間の距離をあけると、今までのような現象は起こらず解決することができました。

 次の日のスタート後は舗装路が続くので、係数を再度修正し距離を合わせると、コマ図と同じ距離数が表示され、これでもう安心とばかり、ドライバーも調子よくスピードが上げることができました。
 短い距離が連続するコマ図を順調にこなしていく。
 まったく問題ない。
 その後は、しばらく長い距離のコマ図が続き、距離計が距離を刻んでいく。
 でも、何かがおかしい。
 体感の距離と距離計に表示される数値が違っていた。
 5km走っているのに、2kmぐらいしか表示していない。
 さらに、車のスピードは上がっているのに、距離を刻むペースが遅くなっていく。
 再びトラブルが発生。
 今度は原因が考えられないので、手元の距離計は見ないようにして、ドライバー側についている距離計を横目で確認しながら走ることとなったのでした。


日モンゴル共同チーム

photo  じつは、我がチームには、スペシャルメカニックが2名ついていました。
 パリダカでアシスタンスカミオンのドライバーをしているバイラーさんの息子たちです。
 彼らはレースがはじまる前から、バイラーさんの指導の下、今回のレース車両の整備の練習をしていたということで、彼らの熱意に驚くとともに、とても頼もしく感じました。
 レースがスタートする直前、日本語とモンゴル語で言葉のやりとりがうまく通じないことが予想されるので、会長のアイデアでボルトの緩みチェックなど車両整備で重要なポイントを分かりやすく作業がしやすいように日本で色を塗ってきたのでした。
photo  そしてレースが始まる前に、それをもとに説明をしたのですが、それにしても彼らの整備の手が早いのには驚きました。ジムニーがキャンプ地に着くと、すぐに車の下に二人で潜り込み、こちらが一息入れていると、「整備終わった」とニコニコしながら言ってくるのです。さらに、毎日、車両の内側も外側も綺麗に掃除してくれるので、毎朝、良い気分でスタートをすることができ、大変ありがたかったです。
 自分たちが2002年大会にビックホーンで出たときは、壊れたり、ボルトが緩んだりして、夜中まで整備し、その後にナビの予習をする結構きつい状況でしたが、今回、彼らが整備を担当してくれる分、ナビの予習により多くの時間を費やすことができるので、これは優勝して恩返ししなければならない気持ちになりました。
 なお、距離計が調子悪いのは、良く見ると日本での自分が行ったセンサーの取り付け方法に問題があったことが判明しました。事務所のガレージでの作業時、腕が痛くボルト1本を緩めるのもつらいので、簡単に見える場所に取り付けたのが原因でした。
 「ラリーは準備が9割以上」「楽をしようと手を抜いたことは、レース中、倍以上になって自分に跳ね返ってくる」と言われていたことが身にしみた瞬間でした。


2台のジムニー

photo  今回のBTOUには2台のジムニーが参戦していました。もう一台は、TEAM APIOの尾上さんと松田さん。パリダカでもずっとコンビを組んで参戦していたもう一組の先生たちです。
 そのTEAM APIOに加わる形で参戦し、2台のジムニーはチームメイトのはずなのですが、「もう一台には負けられない」と会長はいつも言いながら、どうしたらもう一台のジムニーより一瞬でも速く走れるのか考えていたのでした。
 それがよりはっきりと見えたのは、レース最終日。
 こちらは、レース初日から徐々に調子を上げていき、最終日にはさらに上位との差をつめるため、また、尾上組に追いつかれないように極秘作戦を実行しました。
 それはさらなる軽量化。
 最終日前夜、会長の指示のもと、着替えや寝袋、工具など、さらには地図一枚にいたるまで、当日のレースだけで使うパーツのみ以外は全てスペシャルメカニックが乗るに車両に積み、最終ゴールするまでの本当に最低限のものだけをジムニーに積んで走ることにしました。
 軽くなったため、車の挙動は今まで以上に良い、穴に落ちても車が受ける衝撃や人が受ける衝撃がとてもやわらかく感じる。軽量化は、速く走るための要素であるとともに、車に負担がないように労わって走るための重要なポイントだということに気がつきました。

 実は、レース前までは、2002年大会で乗っていたビックホーンと比べて速さや受ける衝撃を予想していました。
 排気量が違うので、ジムニーはそれよりもゆっくりしか走れないだろう。
 ショックの太さなどサスペンションの構造が異なるので、ジムニーでは強い衝撃を受け続けるだろう。
 しかし、オフロードに入った瞬間から、その考えは全て覆されたのでした。
 スピードも速いし、乗り心地も断然良い。
 たとえば、穴にタイヤが入った時、ビックホーンは硬いものが当たる衝撃を体に受けたのだが、ジムニーの場合はゴムで受けたような柔らかい衝撃を感じる。
 カーブに入っていくときも、軽自動車の狭いトレッド幅はモンゴルのピストに合わず不安定になるはずだが、それこそコンクリートの道を走っているように安定し、さらに速いスピードで抜けていく。
 さらに、どんなに悪路を速く走っても、怖さで体に力が入ったりすることもなく、下を向いてナビの仕事ができる安心感もある。
 これが、プロのドライバーの走り方なのだ。
 そうすると、自分がナビゲーターとして憧れていた「自分より技術のある人のナビをする」という、この貴重な体験に感謝するとともに、その全てを見ようと、ハンドル操作から、クラッチのつなぎ方にいたるまでドライバーの動きをさらに興味をもって見るようになりました。


言葉は短く

photo  休息日を過ぎると、体もモンゴルの雰囲気に慣れてきてより調子がよくなり、また、距離計のトラブルも解消され、ナビの仕事により集中できるようになってきました。
 さらに、ナビの調子がよいと、ドライバーの調子も上がり、良いペースとリズム感でジムニーは走っていきました。
 そうすると、自分がやっていることが客観的に見えてくるのです。
 一番見えるのは、コマ図の指示方法。
 とにかく正確にコマ図の状況をドライバーに伝えようと努力するのだが、どうもうまく伝わらない。
 というのも、自分がその伝えるコマ図を十分に理解していないことが原因だったからです。
 自分がイメージできないものを言っても、他人がイメージできるわけが無い。
 それが分かってくると、ナビの目ではコマ図の状況をすべて確認しながら、重要なポイントのみに選んで言葉にすると、車がより速く走っているように感じられました。

 ドライバーは路面に集中、ナビゲーターはより広い視野で見るようにしています。
 また、一秒でも一瞬でも速く走るために、ナビがドライバーの視線の動きをサポートすることもあります。
 例えば、連続した丘の間など、その先が見えにくい場合、ナビはシートから腰を浮かして少しでも高い位置から、その先の状況(道が続いている方向)を指示するのです。
 また、「丘をあがってから右方向」と言うことがあったのですが、その時、言葉数が多いことを注意されました。
ドライバーが運転している集中力を解き、ナビの言葉に耳を傾け、その言葉の内容を理解する一瞬の時間さえももったいないということなのです。
 丘を走っていることは見れば分かっているので「丘」は必要ないし、同じ内容のことを言うのなら「あがってから」よりは「あがって」の文字数の少ないほうがナビゲーターの言葉に集中する時間が短くなり、ドライバーのストレスも軽減されるのです。
 実は、これは自分がパリダカで失敗したことの一つでした。
 車を速く走らすには、車自体の高い性能も一つですが、発音する言葉の一つにいたるまで注意しなければならないことに驚くとともに、ラリーの奥深さを改めて感じました。
 パリダカでは国語・算数・理科・社会・図工・道徳と小学校で習った基本的な要素も重要だと感じましたが、今回のラリーでは、それよりももっと基本である「言葉をだす」ことまで神経を使わなければならないことにも気が付かされたのでした。
 パリダカでの失敗にはじまり、BTOUへの参戦。
 失敗しなければ気がつかなかった、自分の弱さや改善点。そして、何年も前から憧れていた「ラリーの鉄人」と言われている会長の運転を目の当たりにした感動、そしてナビとして最後まで務められた喜び。
 エントリー手続きから、車両製作、そしてラリー中と、主催者であるSSERの会長の山田さんをはじめオフィシャルの皆様、ドライバーの会長、さらに会社の皆様のサポートがなければ、今回の参戦そして貴重な体験はありえないことでした。
 そして、公私に渡り今まで自分のラリー活動に対してサポートしてくれたすべての方に、ここまで来れたこと、大変感謝しております。
 これまでの経験をもとに、今後も今まで以上にいろんなことに挑戦していきたいと思います。
 本当にありがとうございました。

 #100 小石沢彰

photo BTOU2007 ULANBAATAR-UVS
主催:SSER ORGANISATION

ドライバー:菅原 義正 [経歴]
ナビゲータ:小石沢 彰 [経歴]
メカニック:ウラナ、ボロ (モンゴル)
成績:総合 20位(2・4輪合同)/AUTO部門 3位(二輪36台、四輪9台)

【ご協賛各社】
アピオ株式会社
株式会社総商

【画像提供】
SSER ORGANISATION
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