Etap7 予期せぬ終り

この日は「NO GPS DAY」名前の通りGPSポイントが全て無く、コマ図通りに丁寧なナビゲーションしなければ目的地にたどり着くことはできない。SSは2本でSS2は50キロほどのショートステージである。今までコースを見失ったらGPSを目指せばオンコースへ復帰できるという保険が無くなったと言ってもいいかもしれない。前日の勝負に勝った調子を維持し「今日も勝つぞ!!」という気合を入れ、わずか前を行くライバルの背中を見つめながらスタートを待つ。
そしてスタート、昨日の接戦を制したおかげもあるのかもしれないがこの日はスタートしてから菅原会長のドライビングと私のナビゲーションのリズムもぴったり合ってきており今回のレースで一番良い状態に感じた。車両も昨日のレース中に遅くなっていた一因を見つけ、夜のビバークで改良しわずかにだが早くなった気がした。そして前半ライバルの尾上氏を早々に抜き去り大きなミスコースもなくSS1ゴールを迎える。SS1ゴールではバイクの選手も5〜6台おり私たちの速さに驚いていた。そのせいもあってか今日の菅原会長はすこぶるご機嫌であった。
SS2のスタートまでのリエゾンを無難に消化し、SS2スタート地点で40分ほどの休憩をしながらライバルの到着を待つ。そしてライバルは私たちより30分ほど遅れて到着し、この日の勝負はこのまま順調にいけば余裕を持って勝つことができると気合を入れた。そしてレースは運命の後半戦へ突入する。
SS2は50キロほどのショートコース、それほど長い距離でもなくビバークまであと少しだ。午前中の調子をそのまま維持しレース運びをしたかったのだが小さなミスコースをしてしまう。そのあとすぐにオンコースに復帰したのだが、ビバークまであと20キロに迫った時事故は起きた。事故の原因や詳細については長くなるので割愛させていただきますが、

ビバークに到着後の様子 (左からAPIO会長 尾上氏・菅原会長・SSER代表 山田氏)
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私自身経験した事のない事故でありまた菅原会長もこんな事故は初めてだと言っていた。しかし車両ダメージがかなり大きな事故であったにもかかわらず2人とも無事であり、事故をして1時間半後には車を直し自走してビバークに帰る事ができた。
ビバークに帰るまでの道中菅原会長と「明日もこの車でレース出れるかな!?」という勝負に対する執念について話しながらビバークまで帰った事を今でも良く覚えている。しかし肝心の菅原会長なのだがこの時事故の衝撃で脳震盪を起こしており、事故前と事故後1時間ぐらいの記憶を失っており私との会話をどこまで覚えているかは定かでない。
ビバークに到着し我々の心配をしていた本部のスタッフや参加者、また我々のチームメンバーが歩み寄ってきて温かい言葉をかけてくれた事は今でも忘れない。「本当に良かった…」心の中で私は何度もつぶやいた。そしてフロントガラスもないこの車ではレースはできないと判断し、私たちはリタイアをする事になった。この日調子が良かっただけにリタイアすることなく最終日のETAPGに行けていればこの後勝負がどうなったのかについて今でも考えてしまう。
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